HOMEアトピっ子の素肌をつくる > 私のアトピー体験談 > その1 ――Eさんのお話

私のアトピー体験談
ステロイドの使用からステロイドをやめるまで

その1 ――Eさんのお話

お子さんのアトピー治療を体験されたEさんのお話です。
ステロイドの使用からステロイドをやめるまでの治療経過や病院の選び方、
子どものアトピーで悩んでいる方へのメッセージなど、語っていただきました。

はじめての受診

初めて娘の肌のことで病院にかかったのは、生後3か月頃でした。頬と背中にできた丸い湿疹をアトピーとは思わず、乳児湿疹でもないと思っていたので疑問に思い、風邪で受診したH小児科で、肌の相談もしました。

H小児科

ステロイド(キンダベート)と保湿剤(ヒルドイドローション)が処方されました。3日ぬってまた受診するようにと。その時はぬったらすぐに湿疹が見えなくなり、再受診した時には保湿剤だけにしてよいと言われました。しかし、保湿剤だけにしたとたん、ジュクジュクした湿疹がぶり返し、初めて行った病院だったのと先生の威圧的な話し方と説明の少なさに好感がもてなかったこと、ぶり返すのは薬の使い方が悪いのではと思い、他の病院に行きました。

湿疹が出始めた頃
(生後3か月)

T小児科

次にかかったTクリニックでは、前のH小児科で処方してもらった薬(ステロイド)を継続使用し、ヒルドイドローションの代わりにヒルドイドソフトを使用するようにとの指示でした。H小児科ではローションをぬった上にステロイドをぬるとの指示でしたが、Tクリニックではステロイド(キンダベート)をぬった上に、ヒルドイドソフトをぬるよう指示されました。クリームなのでローションよりも保湿性が高く、ステロイドの上にぬると保護役になるとの理由からでした。

それから2週間は、湿疹は治まらず、Tクリニックを再度受診しました。前回とは違うI先生が担当され、「キンダベートを薄めずに使用するのは赤ちゃんに強すぎる。5年後とかに白くなり紫外線で斑点が出る可能性もある」と言われました。強いものを処方されていたということと、同じ院内の医師でも考えが異なるということにショックと戸惑いを覚えました。その時の処方は“アンダームクリーム、親水ワセリンホエイ、ロコイドクリーム(ステロイド)、飲み薬はセルテクトのドライシロップとビオフェルミン”でした。

ここまで3人の小児科医に診てもらいましたが、処方やぬり方に違いがありました。I先生の「原液でぬるのは強すぎる」という言葉へのショックもあり、この日に処方された薬は使わずに、翌日初めてI皮膚科を受診しました。

I皮膚科

ドクターショッピングと非難されるかもしれませんが、会話ができ信頼・納得できる医師のもと、治療をしたいと思ったのです。皮膚科なら肌トラブルの専門医なので、知識も豊富で今まで受診した三者のどれが正解なのか、教えてくれるのではないかという期待がありました。

I皮膚科での結果は「どの先生の指導も僕のやり方とは違う」ということでした。ここでもまた衝撃を受けたのは言うまでもありません。  I皮膚科の先生は、顔と体で薬の種類を変えるやり方でした。顔にはステロイド(リンデロンVG)とゲンタシンの混合、体はステロイド(リドメックスコーワ軟膏)とケラチナミンコーワ軟膏の混合で、白色ワセリンのケンエーと飲み薬のジキリオンのシロップも処方されました。ガイドラインの内容はもちろん、ステロイドにランクがあるということさえ知らなかった私は、話を聞いてくれたことと使い分けの手法にどこか安堵していたように思います。ですが、じつは今までのどの医師よりも強いステロイドが使われていたわけです。無知はこわいなと後から思い知りました。

ステロイドを朝夕、ワセリンは日中こまめにぬるというやり方で数日様子を見るようにとの指示でした。4日後に再受診した時には見た目は改善しており、顔はワセリン、体はヒルドイドローションのみに切り替えるよう指示されました。しかし案の定、ステロイドをぬらなくなった2日後には、ぬる前よりも状態が悪化しました。それでも「1週間は保湿剤だけにしてね」と言われたので悪化に耐えながら不安の中過ごしていました。その間、気管支の炎症で受診したM小児科クリニックでは、「保湿だけじゃだめだよ」と言われたのですが、「でも皮膚科の先生が1週間はあけてとおっしゃったので」と言葉をさえぎり、名前もわからない薬を娘の肌にぬっていました。

1週間保湿剤だけで耐えた後、再度受診したI皮膚科では、「顔にこの前の薬をぬるのは強すぎるから、一度違う薬で様子を見よう」とロコイドに戻りました。体はメサデルム軟膏とケラチナミンコーワ軟膏の混合が処方されました。しかしこの時点で、処方されたステロイドでは効果がなくなっていました。先生の予定では、最初に強いステロイドを使用して抑えれば、あとは保湿剤か弱いステロイドでコントロールできるはずだったようです。ところが弱いものではよくならないどころか悪化をしていて、結局ロコイドからリンデロンにまた切り替わりました。

3日後に受診するよう言われていましたが都合がつかず、2日延びてその間ぬり続けていたら、先生にひどく怒られました。強い薬は危険なのだと認識したのです。そこからロコイドに変えたらまた悪化。「どんなに長くても1週間以上続けてぬったらダメ!」と言っていた先生が、「うーん、もう少しぬろうか」と言い、いよいよ私もこの方法ではいたちごっこを続けるだけかもしれない、と思うようになりました。

ロコイドを長くぬるようになり3日おきに受診をしていたある日、先生から「これ以上強い薬出されてもお母さんもいやだろうから、大学病院を紹介するよ」と紹介状が出されました。その頃の私は、「大学病院=最新設備と最新治療」というイメージをもっていて、何か別のアプローチがあるのではないかと期待をしていました。

大学病院を受診する

大学病院で処方されたのは結局、I皮膚科の先生が「数日以上ぬり続けてはいけない」と言っていたリンデロンVGでした。期間は2週間、しっかり毎日ぬってくださいとの指示でした。診察台に寝転ばせ看護師さんたちがステロイドと亜鉛華軟膏を娘の顔にぬっていたのですが、泣きじゃくる0歳の娘に向かって「あらあら~、かいかいしちゃうからこんなになっちゃうのよ。かいちゃだめよ~」と3人がかりで手足を押さえながら口々に言っていました。薬をぬった後、筒状の包帯を目だし帽のように目と口だけ開けてかぶらされましたが、それをつけている間ひたすら娘は泣き叫び続け、私たち夫婦も期待はずれの対応に落胆し、こんなことでいいわけがないと、包帯はすぐにはずしてしまいました。大学病院を紹介された結果がこれだったので、その足で紹介元のI皮膚科に戻りました。

I皮膚科に戻って

「大学病院でリンデロンVGを2週間もぬり続けるように言われました。先生は危険だとおっしゃっていたからやっぱり不安です」と言うと、親身だと思っていたI皮膚科の先生も、「大学病院の先生がそう言っているなら言うとおりにしなくちゃ。僕にはこれ以上できないから」とそっけない態度に。さじを投げられたのだと感じました。

それでも結局私はその大学病院の指示に従うことにしたのです。おかげで異様なまでのツルツルな肌で新年を迎えましたが、心の中では「これをやめたらどうなるのだろう…」という不安がふくらみ、素直に喜べる状況ではありませんでした。

指示通り2週間ぬった後、大学病院で再受診しました。大学病院のM先生は「すっかりよくなりましたね。今日からプロペトとアズノールだけでいいですよ」とおっしゃいました。でもいい加減私にもわかっています。ここで保湿剤だけにしたらまた出てくるのだろうということを。それを意見した私に返した言葉は、「ははっ。出たらまたぬればいいんですよ」でした。

I皮膚科の先生が、危険だよ! と私を叱ったその薬を、ずっとぬるなんてできるわけがない…。

この頃からようやく、本格的にステロイド以外の治療を探すようになりました。

ステロイドをやめたい…

【ステロイドをやめて半月】
分厚いかさぶたで迎えた初節句(生後9か月)

【ステロイドをやめて1か月半】
おでこや頬、顔全体にアトピーが広がる(生後10か月)

【ステロイドをやめて2か月】
滲出液がさらさらに。赤みが強くなる(生後9か月)

【ステロイドをやめて2か月半】
少し赤みがひくようになってきた(生後11か月)

【ステロイドをやめて3か月半】
少しの赤みはあるが、ほぼ正常肌のような状態(1歳)

【ステロイドをやめて5か月半】
アトピーが嘘のようにきれいな肌に!(1歳2か月)

ステロイドの中止を決めた理由は、①信頼できる標準治療の医師に出会わず、またガイドラインに則したやり方ではよくなっていかなかったから、②ステロイドでコントロールしていればそのうち治ると言われたが、夫は未だにアトピーであり信憑性がなかったから、③成人患者の中にはステロイドを使い続けて効かなくなった人も多くいることを知り、多用することに疑問がわいたからです。

複数の病院をまわったのは、何が原因で湿疹が出ているのか、薬はどのように使うのか、どれくらいの期間で治癒するのか、なんという診断名なのか、疑問に思うことを聞くことができ、治療計画をきちんと話してくれる先生に出会いたかったからです。

ですが、多くの先生は症状をパッと見て「薬出すからぬっておいて」という程度で、こちらから訊ねてもそんなこと考えなくていい、とあしらわれたりもしました。違う病院に行く度、「弱い薬をダラダラ使っちゃダメ」、「そんな強い薬を赤ちゃんに使っちゃダメ」と言われることも。ステロイドをどのように使うのが正しいのか、「医師の指導を守り正しく使えば問題ない」という“正しく”が何なのか、わからなくなりました。そしてどんなランクのステロイドでも、どの先生の指導法でも、ぬるのをやめたら2日後にはぬる前よりもひどい湿疹が出ていたのです。

B小児科

ステロイド以外の治療を探し始めてから完全にステロイドをやめるには、1か月の月日がかかりました。アトピー治療で評判のよい病院やステロイドを使わずに治療をしている病院を探すことから始めました。

娘の症状は不安視していた通り、ステロイドをぬり終えた翌日にはあご顎と頬にプツプツがどんどん出てきて、次の日にはジュクジュクが一気に広がっていきました。それからしばらくは、近くのB小児科で湿疹も診てもらうようになり、アレルギー検査を行いました。ステロイドを使用しつつ、卵に陽性反応が出たので除去を始めましたが、やはりステロイドをぬらなければ一気に吹き出る状態に変わりはありません。B小児科はI皮膚科と似た指導で、リンデロンを1週間使用した後は保湿剤の外用のみで1週間耐え、その後はロコイドでしのげればという方針でしたが、ロコイドはほとんど効果がなくなっていました。

そんな時、親戚から「アトピーのお子さんを、ステロイドを使わずに育てたという職場の知り合いがいたので話を聞いてみたら」という話があり、お会いすることになりました。それが「脱ステロイド」との出会いです。

講演会に参加

その方のお子さんが小学生の頃、東京都練馬区の藤澤皮膚科でお子さんのステロイドの中止を行なったとおっしゃいました。先生について調べていると、幸運にもその翌週末に藤澤先生の講演会が近くであることを知ったのです。娘を他の人に預けたことは一度もありませんでしたが、とにかく聞きに行きたい、そんな思いに母が協力してくれ、娘を預けて講演会に出かけました。

その講演会では、湿疹は自然治癒するということ、ステロイドの使用期間は短いほうが予後がいいということ、保湿剤も使用せず入浴を控えることで自らの保湿力を上げることができるということなどを聞きました。患者さんの経過写真も見せてくださり、「保湿剤だけにした時の娘のような悪化はこれの始まりなんだ! そのまま耐えればよくなるかもしれない」と希望が見えた気がしました。さらに、そこに来賓でいらしていた阪南中央病院皮膚科部長の佐藤健二先生にマイクが向けられた際、「患者にかいてはいけないと言うのは簡単なことですが、かいても治る治療を行うのが我々皮膚科医の使命だと考えます」とおっしゃった先生の言葉に、胸が熱くなりました。「かくから悪くなる、かいちゃダメ」と言われた大学病院での私たちの気持ちを察してくれているような気分になったのです。

本との出会い

そこから私は、『アトピー治療革命?取りもどせる! 健康肌』(藤澤重樹著・永岡書店)、『患者に学んだ成人型アトピー治療?脱ステロイド・脱保湿療法』(佐藤健二著・つげ書房新社)、『アトピー性皮膚炎 患者1000人の証言』(安藤直子著・子どもの未来社)という3冊の本を読みました。それぞれに特徴のある書籍でしたが、半年間複数の病院に通い、ステロイドを使用しながら試行錯誤してきた私が、脱ステロイドを始めるには十二分の説得力をもつものでした。そして講演会に参加した翌日、B小児科へステロイド治療をやめる旨を伝え、脱ステロイド生活が始まったのです。

夫の気持ち

娘の症状が悪化した時も、夫はさほど驚いてはいませんでした。子育てに関しては、私の意思を尊重してくれていましたし、夫は自分が数十年間アトピーを抱えながら生きてきているので、ステロイドを使えば治るというものではないことも自覚していたからか、ステロイドをやめようと思うと言った時も特に反対はされませんでした。

夫は仕事が忙しい上、娘は男性になつかないところがあったので、当時夫と娘がふれあっている場面はあまり多くありませんでしたが、症状がひどい時でも「かわいいねぇ~」と言いながら毎朝写真を撮っていました。それが夫なりの優しさだったのだと振り返った今は感謝しています。

Y皮膚科

ステロイドをやめることに決めて最初にかかったY皮膚科では、アレルギーに関係なく厳しい食事制限がありました。卵、乳製品、小麦、肉類、果物、砂糖、味噌醤油などの発酵食品などを避ける指導でしたのでしばらくその通りに気をつけていました。

まもなくして、慣れない子育てに追われる中、苦手な料理で食事制限のなか栄養ある食事を作ることができず、睡眠不足栄養不足にストレスが重なり、私の体がもたなくなってしまいました。

佐藤小児科(佐藤美津子先生)

それで、必要以上の食事制限をしない方針の佐藤小児科(大阪府堺市)を受診しました。  先生の意見を取り入れ、品数は少なくともバランスのいい食事、なかでもたんぱく質をしっかり食べさせるように心がけました。滲出液(しんしゅつえき)が出ているうちはたんぱく質が流出しており、それを補い、さらに成長に必要なたんぱく質をとる必要があるという意見に納得したからです。体に不必要なものはとらないにこしたことはないと思い、農薬や添加物は極力使っていないものを選ぶようにしています。

食べもの以外でも、同じように無理をしない程度で不必要なものはなるべく避け、洗濯洗剤や着るものは自分なりの基準を設けていました。お風呂は、冬場は1か月に1~2回の入浴、夏は1週間に1回程度のシャワーにしていました。

6歳になって ――振り返って思うこと

娘は、保育園の先生や親御さんに、ひどい湿疹があったと話しても信じてもらえないくらい、傷跡ひとつない肌になりました。とはいえ未だに敏感肌であるとは感じます。湿気に弱いようで高温多湿の場所にいると、ボコボコとじんましんのようなものが出てきますし、冬はガサガサ粉をふいています。ストレスや環境の変化でまた湿疹が出ることもあるのだろうという覚悟はしています。

それでも年々肌も体も丈夫になっているようで、スイミングにも通っていますし、季節的な湿疹の悪化も2年間繰り返し、3年目からは目立って出なくなりました。何らかの理由により、かゆみで不快になった時は、保冷剤で冷やすなど自分で対処するようになったので、親としても楽になりました。

湿疹が出ている間は、一生治らないのではないか、このまま学校にあがっていじめられるのではないか、発達に影響するのではないか、選んだ道はまちがいだったんじゃないか…とたくさんの不安に押しつぶされそうになることもありました。一歩外に出れば、“こわい、気持ち悪い、赤鬼みたい、おばけがいる”と子どもたちは大声をあげ、“病院行っているの? お薬ちゃんとぬらなきゃだめよ、かわいそうだわ。子どものこと考えて、お母さんどうかしている”と、大人たちは声をかけるか避けていくか…。予防接種や健診で病院に行っても肌のことばかり言われて、最後はネグレクト扱いです。とても生きづらい世の中だと思います。理解してくれる人が少しでもいたら、同じようにがんばっている親子に知り合うことができたら、安心してかかれる病院が近くに1つでもあったらどんなに救われただろうと、ずっと思いながら子育てをしてきました。

今、行っている活動

今までの経験から、現在では「アトピーっ子育児の会」という団体の二代目代表を務めさせていただき、ブログの発信をしたり、同じ道を選んだご家族同士の交流会を関東中心に企画したりしています。子どもがアトピーじゃなかったらしていただろうこと、アトピーがひどいからできないと思っていること、行けない場所、そんなストッパーを1つずつはずしていかれたらいいなと思い、ママ友同士でご飯を食べたり、親子カフェに行ったり、クリスマス会をしたり、マッサージを受けたり、いろんな企画を考えてご好評いただいています。

何より「同じ話題を話せる仲間がいる」と感じることが、お母さんたちにとっては日々の生活にプラスの影響をもたらしているようです。イベントに来て初めて、自由にかかせる勇気がもてたとおっしゃってくださった方もいて、その後メキメキとお子さんの症状は改善していきました。

ボランティアで細々とやっているので、あまり多くのご要望にお応えすることはできませんが、地方でのイベント開催も少しずつ増やしていますので、ブログに遊びにきてもらえたらうれしいです。

また、私が渦中にいた時に参加したatopic(アトピック)という団体の主催する講演会で、「大丈夫。お母さんもこの子も目がしっかりしているから、もうすぐよ」と声をかけてくれた先生の言葉に救われ、今ではその団体のスタッフも務めています。こちらは全国で講演会を行えるようがんばっていますので、お住まいの県で開催される際は、ぜひ足を運んでいただけたらと思います。

親御さんにお願い

そして最後にひとつ、親御さん方にお願いがあります。お子さんのアトピーを前にさまざまな想いがおありだとは思うのですが、どうか自分自身を責めないように、お子さんにはあまり、ごめんねという言葉をかけないようにしてほしいと思います。アトピーに限りませんが、お母さんが自分を見て悲しそうにしていたり、泣いていたり、謝ったりすると、子ども心に罪悪感を覚えるような気がします。そして、大好きなお母さんお父さんを悲しませないようにと無理をしたり、かわいそうな子なのだと自分で思うようになるおそれがあるように思います。

イベントをお手伝いしてくれた成人患者さんが発した「この子たちは幸せだと思う。こんなに小さなうちにお母さんがこの治療法を選んでくれたのだから」という言葉が胸に残っています。個人的にはステロイドを使用するという選択肢も否定するつもりはありません。どんな道を選んだとしても、そこにはめいっぱいの親の愛情が詰まっているのだと思います。どの治療法を選んだとしても、その道が今の“ごめんね”の想いを将来“ありがとう”に変えるものになるといいなと願っています。

ページのTOPへ